私が婚活で学んだこと


1.現在の年齢は41歳になります。職業現在は、2児の母であり、在宅ワーカーとして収入を得ております。

2.婚活のキッカケや期間は、30代になりやはり家庭をもって、子供が欲しかた事もあり、結婚願望があったことから「婚活」をしました。
実際に婚活をして期間としては、33歳になってからが本格的な婚活をして期間になり、結婚年齢が34歳ですので、1年余りになります。

3.利用しているサービスとしては、結婚情報サービスサイトを主に利用しました。また、結婚相談所の利用も経験しました。
婚活当初は、サービスとして行われている様な物を利用して婚活をした訳ではありませんでした。当初は、知人が良かれと思って「いい人がいるのだけど…」的なお話をもってきて下さいましたが、これがなかなか難しい物でした。

こうした紹介話から、私の婚活話が始まります。
確かに、33歳の女性が独身で勤務していると、世間的には「ちょっと…遅いんでない?」そんな勝手な雰囲気ってあるのでしょうね?
自分がなんとも思っていなくとも、周囲で婚活を開始されている事って、実は結構あるものだと自分の事を振り返っても感じます。
私は、最初のお見合いは知人のおじ様が、知人を紹介したいとの事で、お会いしましたが、お見合いの大変さを感じる結論となりました。
確かに条件はよいのですが、結婚という物は条件で出来る物ではない事を知りました。条件より、第一印象ってとても大切だという事を学んだ結果となりました。最初のお見合いは、結婚したいと思える男性ではなかったのです。
こうした苦い経験を通して、自分にとってお見合いで結婚する事は、辞めた方がいい事を知りました。人を介する事の大変さを実感したからです。
お見合いも、うまくいけば紹介者との関係も良好に保てますが、結果が厳しい時は、紹介者との関係性を考えると尾を引きます。

こうした苦い経験から、私は婚活は自分で行う事にしようと決意をして、自分がピンときた男性と縁を頂ける様に、婚活を開始しました。
そして、私は結婚相談所のサービスをまずは本会員にならずに、誰でもフリーで利用出来るサイトの利用から始めました。
このフリーサイトを出来るだけ有効に利用したいと、当時は一生懸命に取り組んでいたのだと振り返ります。
こうした婚活方法を行っている方も実に多いと思いますが、手段はどんな方法でもOKです。

自分にとって、「結婚とは何か?」「将来的にどうやって生きていきたいのか?」
人を比べるのではなく、自分にとっての尺度をもって婚活をする事って、とても大切だと思います。自分がこの人だと思える人がいたら、自信をもって先に進む事が婚活にとっては大切だと思います。
人がどう思おうと関係ないのです。自分が決める事が出来たら、アプローチをする等して先に進む事によって、婚活が一歩進むのですから。

そして、婚活を通して学んだ事は将来的のも財産の一つになりますよ。
私は、正直婚活をして結婚した事はお恥ずかしいながら、失敗でした。
ですが、失敗が結果往来だと自負しております。
結婚7年目の離婚を経験しましたが、自分にとって婚活で学んだ事がとても大きな意味ある事になっております。また、自分の人生にとって一度の結婚経験は、とても意義あるものでした。元伴侶にとても感謝して、今を生きております。
婚活を通して結婚をして、生きるという事の偉大さを痛感すると共に、今のありのままの自分を愛する事が出来る様になりました。

婚活をしている全ての方に、結婚とは成長出来るものだと思います。
お互いを労わりあいながら、共に助けあい、共に成長出来る関係性を構築できる事を願っています。皆で、幸せになりましょうね。

何とかして結婚したいと願って婚活をしていますが、なかなかうまくいかなくて40歳にして独身男性です。

【長野県 40代前半女性 shinntyannさん】

早いもので私が婚活を本格的に開始してからもう7年が経ちます。今年40歳になりました。やはり女性は、中高年を問わず容姿を重視する人が多いことがわかりました。私は、ちび、ハゲです。これが原因で、年々引っ込み思案の性格になり積極的に女性にアタックできなくなりました。有名な結婚相談所には殆ど入会しました。お会いした女性は、数十人になりました。かけた費用は、300万円前後でしょう。

そのうち断わられた確率が80~90%です。残りの10~20%は、どう考えても私とは会いそうもない女性でした。誤解を恐れずに言いますが、私の家は名だたる資産家とは言うほどではありませんが、亡き父も亡き母も相当相続税を納めて地元ではお金持ちと言うと必ず名前が上がります。これが迷惑なのです。

家も亡き父が建てたものですが、庭園も併せ大きすぎて困っております。製造業もしており、賃貸アパートも3棟、テナントも少々所有しています。駐車場に貸している更地も多少あり、おまけに畑まであります。水田は、運よく不動産屋さんが宅地造成するために買ってくれました。私は、容姿のことが最大の原因ではあるけれども、これらのことももし私と結婚した人は苦労すると見抜かれているのだと考えます。

女中さんを雇うほどの大金持ちではないし、工場もしていますので年中無休の様なものです。従業員さんも50人ほど働いてくれていますので、工場を辞めたと言うわけにはいきません。兄弟は姉と弟ですが、彼らは幸せです。

二人とも結婚しておりますが、長男の私に厄介なものをすべて押し付けて、お金を均等に分けました。介護した私への寄与分は認めず、不動産も評価して全くの均等分割でした。
一人数億円でした。

但し工場の亡き父と亡き母の出資金は、私が継承しました。これは私の取り分が増えたのではなく、兄弟は厄介なものから逃げたのです。私は今途方に暮れています。将来どうしたら良いか考えたら眠れません。
不動産も私が購入したものでなく先祖伝来の物です。工場も私が始めたものではありません。

不動産も少しずつ売却しようと考えて、不動産屋さんと交渉していますがうまく運びません。不況のせいです。多くの人が固定資産税がかかる不動産ではなく、お金で持っていたいのです。

今も婚活はいまも続けていますが、結婚相談所の多くが良い顔をしなくなりました。私が歳をするにつれて合わせる女性がいなくなってきたのです。私は、今はバツイチでも子連れでも良いと言っていますがなかなか会わせてくれません。

私のことを結婚相談所の人が写真を見せて話しただけで、女性が引っ込んでしまうのです。イケメンでないのは私の責任ではありませんが、人間的魅力もないのかもしれません。大学卒業後5年間は重電機メーカで修業しましたが、それからの私の人生は亡き父と亡き母の介護も含めて苦労の連続でした。

うるさい親戚との交際もこなして来ました。田舎は親戚付き合いとお寺の付き合いが大変です。お金がかかるのは良いとして行事が多すぎです。これから独身でこれを続けていくことを考えたら、うつ病になってしまいます。

あと5年は今度は地元の人がやっている小さな結婚相談所へお世話になってみようかと考えています。もしかしたら、その方が良いかとも考えましたが意外と地元の結婚相談所と言うのは、東京から進出してきた大手に押されて減少しているのです。

自治体主催の婚活パーティーというのも最近あるそうですが、男性参加者が圧倒的に多くて成婚率はゼロに等しいことがわかりました。しかし何とかしなければなりません。
助けてくれる人はいません・自分の力でこんな私と結婚してくれる人を探します。条件はありません。そんなことは言える立場ではありません。どうか親父さん、お袋さん応援してくださいと、毎朝お茶とご飯をお仏壇へあげてお参りするたびにお願いしています。